2012-01-01から1年間の記事一覧

iPS細胞の臨床応用にびっくり

メディアの虚報、あるいは誤報はままあることだ。しかし、今回のiPS細胞(新型万能細胞)の臨床応用を報じたニュースは、当事者にとっては深刻な事態だが、傍から見ていると“抜群のおもしろさ”と言ってもいいのではないか。 京都大学・山中教授がiPS細胞の作…

集会参加報告

◎京都で集会に参加 10月21日、日曜日の午後、京都市の円山公園の中にある野外音楽堂で開かれた集会に参加してきた。この街に住んでいる学生時代からの友人に誘われたのがきっかけだが、八方ふさがりのような現在の政治・経済・社会状況に、「何とかなら…

帰郷2012

故郷の町で旧友に再会 10か月ぶりに帰郷した。四国の片隅にある小さな城下町だ。高校を卒業するまでの18年間ここで過ごした。いま商店街はシャッター通りとなっており、活気がない。それだけに、おだやかな時間が流れているともいえるだろう。 昨年の帰…

入院生活の報告④

病気再発防止への道のり 入院3週間が過ぎて、血液検査と頭部のCT検査を受けた。主治医に結果の説明を受けたが、そのときに、私は当初うつの症状が出ていたといわれた。検査結果がよくなってきたことに伴って、うつ症状が改善したようだ。CT検査の画像を見る…

入院生活の報告③

リハビリ病棟 脳外科病棟での最後の数日間は、1日1回30分程度のリハビリを受けた。寝込んでいる間に落ち込んでいた運動能力を回復するのが狙いだった。リハビリ病棟に移ってからは、退院まで毎日2回2時間の訓練に励んだ。 リハビリ病棟には11室の4…

入院生活の報告②

ゆっくりとした回復 ICU(集中治療室)に収容されたのは最初の二日間だったのかな。起き上がることもできず、寝返りすることも困難だった。朝、昼、晩の3回、食事の代わりに点滴をしてもらっていた。トイレに行くこともできず、ベッドの上で尿瓶に排尿してい…

入院生活の報告①

生死の分かれ目 60歳で定年退職した会社のOB会(同人会)の集まりがホテルであった。昼食にビールが出され、2本ほど飲んだのだが、ホテルを出たとき頭がボーとした感じだった。朝食のあとに内服した血圧降下剤のせいかも知れなかった。10分ほど歩いて書…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ⑦(完)

旅を終えて 紀行のタイトルにした「アウシュビッツからベルリンの壁へ」は、第二次大戦からベルリンの壁崩壊までの東西冷戦の歴史をたどる意味を込めたのだが、そんな思いだけで旅を続けたわけではない。さまざまな場所で今を切り取る光景に出会った。それら…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ⑥

壁にブレジネフとホーネッカー ドイツに入って最初の観光はドレスデン。エルベ川のほとりに栄えたザクセン公国の都である。この街は第二次大戦末期の1945年2月、連合国軍、主に英軍の爆撃を受け、徹底的に破壊された。石造の建物を修復するため、散ら…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ⑤

証拠隠滅? 旅から帰って、ネットを覘いていると、「アウシュビッツにはユダヤ人虐殺の証拠はない。毒ガスを購入した記録はないし、第1収容所にある焼却炉は、収容中に亡くなった人のためのものだ」という内容の書き込みがあった。ホロコーストはナチスの…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ④

次世代へ伝える ポーランドの古い都クラクフで1泊、世界遺産に登録されているこの町の歴史地区の観光を済ませ、オシフィエンチムへ。オシフィエンチムはアウシュビッツのポーランド語の地名である。駅前の食堂で昼食をとった後、バスはアウシュビッツ博物…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ③

「プラハの春」は遠く 「百塔の都」と呼ばれるプラハは美しい町だ。小高い丘の上に立つプラハ城前の広場から見下ろすと、レンガ色の屋根が連なり、あちらこちらに搭が突き出ている。フィレンツェを丘(ミケランジェロの丘)の上から見たような眺望である。 …

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ②

「ハンガリーはソ連に疎まれていた?」 ブダペストの現地ガイドは日本の中学で学校教育を受け、都合8年間日本で暮らしたという青年だった。「フィンランドのフィン族とともにハンガリーのマジャール人はアジアから来た民族で、赤ちゃんには蒙古斑がある。…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ①

東日本大震災から1年 3月11日は旅の途中だった。ベルリンのホテルでテレビのスイッチを入れると、CNNが東京から東日本大震災の一周忌を慰霊する式典の画像を流しており、そこには、心臓のバイパス手術を受けたと伝えられた天皇の姿があった。病み上がり…

被災地・三陸行5・終わり『巡礼の道』の提案

◎ 被災地・三陸行5・旅を終えて『巡礼の道』の提案 最終日、雪は小康状態だった。朝の冷え込みで、取り付け道路の凍結が心配なのでスコップを持って出かけた。坂道の雪はほとんど取り除かれていた。勤勉な自治会長がやったのだろうか。もしくは、地区住民の…

被災地・三陸行4・大船渡②

◎ 被災地・三陸行4・大船渡② まるで学生時代にでも戻ったかのように、私たち3人は4畳半の部屋に体を寄せ合って寝た。朝起きてみると、雪はさらに積もっていた。ともかく、何かをするために三陸に来たのだから、仮設住宅地区内の道路の雪かきをすることに…

被災地・三陸行3

◎ 被災地・三陸行3・大船渡① 大船渡は海沿いの大船渡と山側の盛(さかり)が一緒になって成立している町である。私たち3人が向かったのは大船渡の中学の校庭を利用してというか、借用して作られた仮設住宅地区である。バスを手前で下車し、20分ほど国道…

被災地・三陸行2 気仙沼

◎ 被災地・三陸行2・気仙沼 内陸の一関はさすがに寒い。夜が明けると雪はさらに20センチほど積もっていた。冷え込むと、凍結で歩きづらくなると、ちょっと気にかかっていたが、むしろ新雪をさくさくと踏んで心地よい。北上川の支流・磐井川沿いの道を歩く…

被災地・三陸行1

◎ 三陸行①一関 大震災・大津波から10か月、この目で被災地を見てみたいという単純な、ある意味傍迷惑な動機で現地を訪ねた。きっかけは東京に住む学生時代以来の友人からの誘い。「知人の中に、三陸に出かけ続けている人物がいる。彼と一緒に行ってみない…