2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

◎バルト3国・ポーランド紀行12

クラクフの休日 ツアー最終日、アウシュビッツ・ビルケナウ見学と夕食がオプションで組まれていた。私たちは数年前に行ったことがあるので、パスしてゆっくり過ごすことにした。朝オプション組のバスを見送ったあと、タクシーでユダヤ人が居住するガジミエシ…

◎バルト3国・ポーランド紀行11

古都クラクフを歩く ワルシャワからクラクフまでは列車移動、スーツケースはバスで運ばれるので、手荷物一つの気軽な旅だ。駅近くで昼食を摂っている間にバスは到着していた。休まずひた走った運転手に感謝。 クラクフは王城の地で、京都のような古都だ。街…

◎バルト3国・ポーランド紀行10

復興の街ワルシャワ 私にとってのワルシャワは『ワルシャワ労働歌』の街だ。まだ学生運動という言葉が何かしら意味を持っていた時代、反抗することで社会への申し立てをする、その一点で集まっていた。そうした集会で合唱されたのがこの歌だった。もともとは…

◎バルト3国・ポーランド紀行9

ショパンを巡る ショパンは1810年、ワルシャワ郊外で、フランス人の父親とポーランド人の母親の間で生まれている。1830年にウィーンに向けて出立、その翌年パリに落ち着いたのだが、ワルシャワ時代にもすでに活発な音楽活動を行っている。ピアノ演奏…

◎バルト3国・ポーランド紀行8

ショパンの夕べ カウナスのホテルを出発すると、一路ワルシャワに向かう。この日は500キロ近い工程で、長いバス旅となる。私たちがこのツアーを選んだのは、妻がショパン・コンクールを扱ったアニメにはまっていて、舞台となったポーランドを訪れたいと強…

◎バルト3国・ポーランド紀行7

命のヴィザ ビリニュスを出ると、30分ほどで保養地のようなところに着いた。湖に浮かんだ小島に赤茶けた城がある。トゥラカイ城だ(㊦)。城の観光が目的ではなく、昼食をとるためだ。 城の対岸を少し歩いて、レストランにはいった。出てきたのは、トゥラ…

◎バルト3国・ポーランド紀行⑥

人間の鎖・バルトの道 ビリニュスは、平坦な街だが、小高い丘がいくつかある。私たちがやってきたのは、その中では最も高い3本の十字架の丘で、頂上に白いコンクリート製の十字架が立っている(㊦)。 ふもとでバスをおりて、なだらかな坂道を登っていくと…

◎バルト3国・ポーランド紀行5 バルトのベルサイユ ロールキャベツの昼食の後、向かったのは約80キロ離れた『ルンダーレ宮殿』(㊦)。この宮殿には、愛と苦しみの歴史があるという。ロシアの女帝アンナの寵愛を受けたクーラント公(クーラントはラトビア…

◎バルト3国・ポーランド紀行➃

リガの見どころは建築群 私たちがラトビアの首都リガの観光をした日、たまたまこの春に選出されたウクライナのゼレンスキー大統領が訪問していた。彼は、すぐあとに訪日して、天皇の即位礼に列席したはずだ。警護のため交通規制にあっては、ということで、午…

バルト3国・ポーランド紀行③

年甲斐もなく恋人の聖地へ 旅の前半は、市内の観光を駆け巡り、午後はバスでトイレ休憩を取りながら次の目的地に向かうというせわしないものだった。だから、タリンを出ると、時おりバルト海を右手に見ながら、ラトビアとの国境を目指す。エストニアもラトビ…