◎バルト3国・ポーランド紀行11

古都クラクフを歩く

 

 ワルシャワからクラクフまでは列車移動、スーツケースはバスで運ばれるので、手荷物一つの気軽な旅だ。駅近くで昼食を摂っている間にバスは到着していた。休まずひた走った運転手に感謝。

 クラクフは王城の地で、京都のような古都だ。街の中を馬車が行きかっている。観光客を乗せているらしい(㊦)。余談だが、この旅でどの国でも、よく見かけたのが電動キックボード。街角に乗り捨ててあったりする。会員制でシェアしているところもあると聞いた。セグウェイより子供の遊具に近い。

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 まず向かったのは、旧市街のはずれにあるヴァヴェル城(㊦)だ。王様の居城だった。坂を上がって中に入ると、広場があって、観光客は木陰で休んでいた。上着もいらないほど暖かい。日本を出発する前、厚着するようにと言われていたが、予想以上に天気がよかった。建物の中では、王族の暮らしや接客の様子が展示されていた。

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 ここから市街地を中央市場広場まで歩く。広場の真ん中にあるのが織物会館で、1階には、宝飾店、衣料品店、土産店などがびっしりと並んでいる。私たちは、両側の店を観察しながら通り抜けた。

 広場の横に聖マリア教会がある(㊦)。左右2本の塔の形が異なっており、不思議な気がする。背の高いほうの塔の窓から、ラッパが出て、時を告げるのだが、曲の途中で中断するのだそうだ。かつて、ラッパ手が吹いている時に敵に襲撃されたて死んだ故事に基づいているそうだ。教会内は見どころいっぱいとガイドブックにはあるが、今回は見送りだ。

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 自由時間になったので、妻は土産物屋に入った。ここは琥珀の産地で、安いものから高いものまでそろっている。中には深紅の珠のようなものもあって、高い値段がついていた。妻は琥珀には興味がなくて、何やら小物を探しているようだった。外の花壇に腰かけて待っていると、中国人のような男性が話しかけてきた。ロスからきたという彼は「ソイル・マイニングに行ってきた」と聞こえたので、土なんか掘って考古学者かと思ったが、聞き間違いで、「ソルト」だったのだ。「岩塩鉱なら明日行く」と言ってやればよかったと後で悔やんだ。『Gate1』のタグを見せてくれたが、旅行社の名前だった。

 広場を出て立ち寄ったのが、ヤギェウォ大学(㊦)。14世紀に創設されたポーランドで最も歴史のある大学だ。古くは、天文学者コペルニクスが、最近では、前のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が学んだところだ。私たちのガイド(㊦)もここで日本語を学び、お茶の水女子大学に1年間留学、「向田邦子を専攻していました」と話していた。未婚かと思ったら、夫も子どももいるとのこと。

 

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 この日最後に訪れたのは、シンドラーの工場。映画『シンドラーのリスト』で紹介されているように、1000人とも1200人ともされるユダヤ人を自分の経営する琺瑯製造工場で働かせることで、アウシュビッツのような絶滅収容所へ送られるのを防いだ。ナチの軍需工場という名目があったので無理が効いた。

 工場は「クラクフ歴史博物館」のひとつになっており、ナチ占領下のユダヤ人の暮らしが分かる展示があり、製品の琺瑯シンドラーと救われた人たちの顔写真がびっしりと並べられている(㊦)。

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 夕食はポーランド風カツレツ。油分がだめなので衣を外して食べたが、中身はチーズのようで、スルメみたいだった。店にかかっていた絵は、なぜかダヴィンチの肖像画の複製。後で調べると、ダヴィンチの肖像画は4点しか存在しないとされるが、そのうちの1点の『白貂を抱いた貴婦人』がクラクフの美術館に所蔵されていることがわかった。だから、その複製があそこに飾ってあったのか。(続く)