消えるか革新の火

革新の火は消える?
 安倍首相は「今なら勝てる」、あるいは「憲法改正発議ができる3分の2を確保できる」という確信したのだろう。そのような入れ知恵をした人がいるのかもしれない。衆議院の冒頭解散に踏み切ったことで、窮地に立たされた民進党は、解党状態になった。立候補予定者は、小池新党「希望の党」へ公認申請し、審査を受けて踏み絵を踏まされることになるようだ。
 憲法改正や安保法制に反対する人には公認が与えられないと思われるから、自民党と並ぶ保守系政党が形成されることになるのは間違いないだろう。維新の会も名前はともかく、考えの上では自民党と重なる部分が多いので、革新とは言いづらい。少なくとも、全部がそうでなかったにしても、革新のある部分を背負っていた民進党が消滅することになって、革新の火が消える日がやってきたのだろうか。
共産党が担うことができるという考えもあるだろう。しかし、党委員会によって統制された組織にリベラルな考えを受け入れる素地はないと私は思う。その存在意義は政権に対する反対意見を投げかけることで、暴走を抑えることにあるのではないだろうか。
戦後、日本の革新は社会党(左右の時代を含め)が長く続いた後、社民党民主党民進党と引き継がれたが、保守系とくっついていくことで変質し、民進党になって先細りになったようだ。これは、支持母体である連合の問題なのかもしれない。いまや正規の組合員たちは現状を打破するよりも維持することを望んでいるようにみえる。組織された組合員はそれでいいかもしれないが、非組織労働者には行き場がなくなってしまう。
私は思う。大きなパイを分け合うのであれば、おこぼれが少しは期待できる。しかし、これからの時代、パイは大きくなるのだろうか。安倍首相は、アベノミクス、一億総活躍社会など、さまざまなキャッチフレーズをアドバルーンのように打ち上げて、うまくいくかのように見せかけているが、看板の書き換えだけに終わっていないか。今こそ、分配を見直すときだ。それには、自立した連合におんぶされない革新の声が必要だ。
希望の党からはねつけられるであろう人たち、再結集して消えかけた革新の火に息を吹きかけてみませんか。火種が残っているうちなら再び燃え盛るかもしれない。無所属で立候補した場合、選挙区で勝つのは難しいし、比例で復活することもできない。ここが思案のしどころだ。これまで無投票してこなかった人の中には、「どうだって変わりはない」と思っている人ばかりではなく、「何かを変えたいけど、代わりが見つからない」と絶望してきた人も大勢いると信じ、社会新党でも民主新党でも作って挑戦してみてはどうだろう。
右をみても、左を見ても保守一色というのは、いやだな。軍国主義の戦前日本やナチス・ドイツのようでもあり、反対派を受け入れない中国や北朝鮮のようでもあり、それこそオーウェルの『1984』になってしまう。そういえば、先日、書店の洋書コーナーにこの本が積んであったな。(了)