◎バルト3国・ポーランド紀行12
クラクフの休日
ツアー最終日、アウシュビッツ・ビルケナウ見学と夕食がオプションで組まれていた。私たちは数年前に行ったことがあるので、パスしてゆっくり過ごすことにした。朝オプション組のバスを見送ったあと、タクシーでユダヤ人が居住するガジミエシュ地区へ向かう。前日行ったシンドラーの工場の対岸で旧市街に隣接している。クラクフはヨーロッパの中でも、ユダヤ人が多い町だそうだ(㊦)。
同行してくれたコンダクターがホテルで、入場できるシナゴーグ(ユダヤ教教会)があると聞いて、そこへ行ってみたが、鍵がかかっていた(㊦)。
シナゴーグが博物館になっているところが10時に開くので、そちらに回った。玄関前の広場に課外学習なのか、生徒たちが集まっていた。月曜日だったので無料。ちょっとラッキー。
中に入ると、クラクフでのユダヤ人の生活を紹介する展示があり、英語版のビデオも放映されていた(㊦)。
午後は、オプション組と合流して岩塩鉱へ。入り口で順番を待っていると、年配のツアーグループがいた。アトランタから来たという老夫婦は、私たちが「日本から来た」と言うと、「夫はネービーで、東京に1年いた」と懐かしそうに話していた。
今は、生産されていないが、かつてここで産出される岩塩で国の財政の3分の1を賄ってきただけあって、その規模には圧倒される。この国では、塩は高価だったので、普段は塩控えめの食事をして、お客さんには、塩辛い食事を出して、けちけちしていないことを示そうとしたとガイドは説明していた。そういえば、こちらのスープは塩が利きすぎているようだった。坑内は鉄さびを避けるため、支えているのはすべて木材(㊦)。階段をひたすら降りて地下130メートルに達する。そこから見学しながら下がっていくと、深さは約160メートル。帰りはエレベーターだった。
採掘した岩塩を運ぶために馬も使われていたという。巨大なホールや聖堂もあり、さながら地下都市のようだ(㊦)。ミラノにあるダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』を岩塩の彫刻で再現したのには感心した(㊦)。
私たちは、午後6時から自由時間を利用してコンサートに行こうと、出発前、ネットでチケットを取っていた。地下をうろうろしている間に時間が経過、バスが出発したのは5時過ぎになっていた。夕方のラッシュに遭遇すれば間に合わないのではないかと心配していた。幸運にも、郊外から市街地へ向かう道は込んでいなくて、10分前に駐車場に到着、コンサートホールまでは駆け足で間に合った。私たちのことは運転手に伝えてあったので、少し急いでもらったのだろう。感謝。
4重奏の室内楽で、30席ほどのこじんまりしたホール(㊦)。名前は『ショパン・コンサートホール』と、立派なのだけれど。プログラムは、バッハ、ヘンデル、モーツアルト、もちろんショパンも。ヴィバルディ『四季』の春や映画『ゴッド・ファーザー』のテーマ曲など、素人にもなじみの曲ばかりだった。
ホールを出たすぐのところにある繊維会館に灯りがともっていた(㊦)。私たちは、オプション組がレストランからホテルへ帰るバスに便乗させてもらう約束だったので、待ち合わせ場所に急いだ。ところが、道を間違えてとんでもないところに出てきた。困り果てているとき、子どもを肩車している若い父親が歩いてきた。呼び止めて、道を尋ねようとしたが、行き先の名前が分からない。仕方がないので地図で「この公園」と示すと、「それならその角を左へ曲がってまっすぐ行け」と教えてくれた。親切さが身に沁みる。
不安がる妻を急き立てて公園を目指す。遠くからバスが見えた。やれやれ。こうして、旅の最後の日は、疲労とともに終わった。あとは、クラクフからヘルシンキ経由で日本に帰るだけだ。(完)