ノーベル賞と京都行

ノーベル賞週間と秋の京都行
 今年のノーベル賞週間が始まり、月曜日、火曜日と2日続きで日本人の受賞者が発表された。月曜日は生理学・医学賞の大村智氏、火曜日は物理学賞の梶田隆章氏。大村氏は、寄生虫病による失明を防ぐのに役立つ薬の開発に貢献したことが評価されたそうで、人類とくにこの病気に悩まされてきたアフリカの人たちにとって大変な恩恵と言える。医学が人間の現実的な利益に直接結びつく、あるいはそれを目指す学問分野であることを考えると、寄生虫病のような、やや地味なところに光が当たったのは良いことだと思う。
 一方の梶田氏の方は、大村氏とは正反対に、実生活と無関係の素粒子に関する実験的研究の成果による受賞である。報道などの受け売りでは、これまでの標準理論で質量(地球上では重さで測られる)がないとされた素粒子ニュートリノに実は資料があったことを実験で実証したというものだ。
 ニュートリノは中性のちっぽけな奴と言った意味で、日本語では中性微子とも呼ばれてきた。いろんな核反応のときに登場する粒子で、反応を表現する数式の形を整えるために使われているのじゃないかとすら思える。そんなことから幽霊粒子と呼ばれていた。脚光を浴びたのは、東大の小柴昌俊氏のグループが、遠くマゼラン星雲で起きた星の爆発時に発生したニュートリノが約15年もかけて地球にやってきたのを、元神岡鉱山(現飛騨市)の坑内に設置した観測機カミオカンデでキャッチし、幽霊じゃないことを証明したときだ。この業績で小柴氏はのちにノーベル物理学賞に輝いている。
 小柴氏の下にいた戸塚洋二氏らの力で、さらに大きくしたスーパーカミオカンデがつくられ、今回の梶田氏の研究にも用いられた。戸塚氏は次のノーベル諸候補と評価されていたものの、栄光を浴びる前に早逝してしまった。受賞に至らなかった戸塚氏の門下生と言ってもよい梶田氏が受賞したのは感慨深い。私自身、戸塚氏を神岡に訪ねたことがある。神岡駅まで車で送ってもらい、別れ際にみせた笑顔を今も忘れられない。
 ところで、ノーベル賞スウェーデン政府にとって国家的な事業だと聞いたことがある。そういえば、今年の生理学・医学賞の寄生虫マラリヤに対する戦いに目を付けたのは、世界全体に目配せしていると示していると言える。物理学賞をみると、昨年は青色LEDという生活に直結した問題に目をつけ、今年は一転、素粒子物理学と言う現実離れしたところから受賞者が出た。これには、ノーベル委員会が広い分野を俯瞰していることを示しているように思える。ただ実生活に直接はやくにたたなくても、例えば、梶田氏の研究は宇宙の成り立ちを考えるとめの貴重な成果であり、人間の知の領域を拡大してくれるという意味で大変大きな一歩となるはずだ。
 連日の朗報に浮かれたわけではないが、天候に恵まれていたので京都に行ってきた。まずは、京都市美術館で開催されている「マグリット展」(写真㊧は入場券を複写=ピレネーの城)へ、シイメージ 4ュールレアリスムは本当に難しい。この絵になぜこんなタイトルがついているのか迷うケースが多かった。自分の直感、感覚をストレートに出せば、作者と通じるものが出てきて理解が深まるのかな。それとも美的センスの欠如によるものか。仕方がないので、作者の生国ベルギーのビールを売っていたので、小瓶1本買って美術館を出た。
 まだ昼前。歩いて行けるとこへと南禅寺に向かった。イメージ 1途中の店で湯豆腐定食で、腹ごしらえし、三門(写真㊨)から入った。やけに外人観光局客が多い。Tシャツやランニングシャツ姿もいて、暑さ、寒さの感覚が私たち日本人とはずいぶんと違うのかなと思う。境内の一番奥にある水道塔(写真㊦)まで行ってみる。スペインやフランスでローマ時代の水道橋を見イメージ 2たことがあるが、こちらのはレンガ造り、アーチがこじんまりと整っている。明治20年ごろの建造だから、ローマ時代の遺構とは比べようもないが、それでも、先例のない工事に取り組んだ明治人の心意気を感じた。
 その後は、車を走らせ、白川通りをまっすぐ北上、大原へ。ここの「里の駅」によったあと、すぐに静原を通り抜けて鞍馬寺到着。あいにくケーブルが修理中で、来年3月末まで運休とあって、石段と坂道を登らなければならない。ここでも外人客が目につく。英語だけでなく、フランス語や中国語が飛び交っている。最後の階段を登りきったところが本堂。ここからの眺めは素晴らしい。山また山、森また森。人家は見えず、人気と言えば比叡山山頂のテレビ塔が見える程度だ。イメージ 3
 上り下りに疲れ果て、帰りの運転には特別の注意が必要だった。何しろ市内のラッシュ身を任せながら帰らなければならないのだから。(完)
(㊨は鞍馬寺仁王門)