2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ⑦(完)

旅を終えて 紀行のタイトルにした「アウシュビッツからベルリンの壁へ」は、第二次大戦からベルリンの壁崩壊までの東西冷戦の歴史をたどる意味を込めたのだが、そんな思いだけで旅を続けたわけではない。さまざまな場所で今を切り取る光景に出会った。それら…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ⑥

壁にブレジネフとホーネッカー ドイツに入って最初の観光はドレスデン。エルベ川のほとりに栄えたザクセン公国の都である。この街は第二次大戦末期の1945年2月、連合国軍、主に英軍の爆撃を受け、徹底的に破壊された。石造の建物を修復するため、散ら…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ⑤

証拠隠滅? 旅から帰って、ネットを覘いていると、「アウシュビッツにはユダヤ人虐殺の証拠はない。毒ガスを購入した記録はないし、第1収容所にある焼却炉は、収容中に亡くなった人のためのものだ」という内容の書き込みがあった。ホロコーストはナチスの…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ④

次世代へ伝える ポーランドの古い都クラクフで1泊、世界遺産に登録されているこの町の歴史地区の観光を済ませ、オシフィエンチムへ。オシフィエンチムはアウシュビッツのポーランド語の地名である。駅前の食堂で昼食をとった後、バスはアウシュビッツ博物…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ③

「プラハの春」は遠く 「百塔の都」と呼ばれるプラハは美しい町だ。小高い丘の上に立つプラハ城前の広場から見下ろすと、レンガ色の屋根が連なり、あちらこちらに搭が突き出ている。フィレンツェを丘(ミケランジェロの丘)の上から見たような眺望である。 …

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ②

「ハンガリーはソ連に疎まれていた?」 ブダペストの現地ガイドは日本の中学で学校教育を受け、都合8年間日本で暮らしたという青年だった。「フィンランドのフィン族とともにハンガリーのマジャール人はアジアから来た民族で、赤ちゃんには蒙古斑がある。…

紀行・アウシュビッツからベルリンの壁へ①

東日本大震災から1年 3月11日は旅の途中だった。ベルリンのホテルでテレビのスイッチを入れると、CNNが東京から東日本大震災の一周忌を慰霊する式典の画像を流しており、そこには、心臓のバイパス手術を受けたと伝えられた天皇の姿があった。病み上がり…