年末年始のできごと

2015年の年頭に
 この年末年始、自分の内外どちらにもさまざまな出来事があった。
 外側ではまず、総選挙。予測されたように与党の圧勝に終わった。投票率は5割を少し上回った程度なのは、自分の投票で何か変化が起こることはないと冷めた目をした若者が多かったからだろう。香港の若者たちが社会に異議申し立てをして行動したのに比べ、わが国には流れに逆らうことなく追随していくことに疑問を感じない若者が多いということか。
 しかし、原発再稼働、集団的自衛権行使、憲法改正などなど、これから続くであろうさまざまな政治的課題において何を選択するかのフリーハンドを政権に与えてしまったことは間違いないのではないか。どんな事態が起こるか心もとない限りだが、そのときの責任は自分たちの上にかかってくることを覚悟しなければならない。
 私たちにとって残念だったのは、いわゆるSTAP細胞が幻となってきえたことだ。もちろん、あのような簡単な刺激で分化した細胞が未分化のものに先祖返りして万能性を獲得するようなうまい話があるとは考えなかった。これまでにもブログで書いてきたように、もし、採取した組織から万能性の細胞が出現したことが本当であるとすれば、その組織の中には未分化の細胞が混在していたからではないかというのが私の推論だった。
実は、その考えは不勉強の私の思い込みであって、次第に明らかになってきたところによると組織とは縁もゆかりもないES細胞が混入していたことによるものであるようだ。もしSTAP細胞が本物でなくても、未分化の細胞を手軽に取り出せる手技を手に入れたのであれば、実用性はあると思うのだが、そううまい話にはならなかった。
では、ES細胞が混入した原因は何であろうか。かっぽう着姿で注目を集めた小保方晴子・元研究員が故意に入れたのか、それとも未熟さゆえに入れ込んでしまったのか。今のところ本人が否定しているので、真相は闇の中だ。彼女の指導的な研究者がES細胞を対象とした仕事をしていたはずなので、そのあたりにいくらでもあったのだろうなあ。ESと一緒にしたら何かが誘導できると期待したのかもしれない。
原油の値下がりも大きかった。個人的に言えばわずかばかり持っていた国債を処分してリスクのある金融商品に買い替えたのだが、原油価格に加えてヨーロッパの政治情勢の不安定が原因で私の商品は相当に値下がりした。採掘可能な原油資源には限りがあるのだから、いつまでも値下がりしているはずはないと思うのだが。ともかく、半月待っていたらこんなことはなかった。後悔先に立たず。だいたいセンスのない人間が欲をかいてはいけないということか。
自分に内なる問題は、年末年始に入院生活を送ったこと。2泊だけ外泊許可をもらって帰宅はしたものの、アルコールは制限されて、楽しみの少ない「おらが春」となってしまった。外来診察を受診し、その日のうちに緊急入院した経過、CTMRIの検査を受けて翌日には症状をとるための処置を受けたことなどを、やや詳しくノートしていたのだが、個人情報に属することでもあり、ここでは省略しよう。
ともかく3日間は絶食。食事の代わりに輸液で栄養補給したが、輸液や薬の容器をぶら下げたスタンドを四六時中横に置いて、トイレに行くにも引いていかなければならなかった。やっと食事が出るようになっても最初は3分粥に煮込んだ野菜といった内容で、消化の良いものが原則だ。翌日からは点滴を外し少し硬めの7分粥になったが、それでもスプーンで掬って食べることには変わりがない。脂身があっての旨味と思うが、それが制限されているとあっては、淡白なあっさり味となってしまうのは仕方がない。
ここは序の口。1月中には、手術が待っている。手術室から出て目を覚ましたときには、再びブログでお目にかかることにしよう。(完)。
         (写真は7分粥の昼食の例)
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